北海道上富良野高等学校校歌のページ

Hokkaido Kamifurano High School song page


  • 2017/05/04 移転

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このページについて

オメガ君の出身高校たる「北海道上富良野高等学校校歌」の校歌に関する情報をまとめたページ。

上富良野高校について

北海道上富良野高等学校は、1926年に開校された北海道立富良野高等学校の分校として1948年に設置された上富良野分校が1952年11月1日に独立したものである。 2008年には開校60周年を迎え、2018年に開校70周年を控える。

1学年の人数は30余人ほどである。上富良野高校の略称としては「上高」が用いられているようだ。 詳細は以下のリンクから。

校歌概要

上富良野高校の校歌は独立・開校から16年を経た昭和43(西暦1968)年3月1日に制定された。 現在の公式ページには校歌に関する言及が殆ど見られないが、かつては楽譜が公開されていた。下記リンク参照。 1年生は6月頃に行われる宿泊研修1日目の夜にこの校歌を練習して歌えるようになるらしい。

作詞は坂本富貴雄氏、作曲は栗林辰男氏。

校歌制定3年前の昭和40(西暦1965)年時点では、坂本氏は北海道学芸大学(現・北海道教育大学)旭川分校教授、栗林氏は同助教授であったが 校歌制定1年後の昭和44(西暦1969)年時点では、坂本氏は北海道教育大学教授(北海道学芸大は1966年に北海道教育大学(教育学部)に改称)、 校歌制定9年後の昭和52(西暦1977)年時点では、坂本氏は名誉教授、栗林氏は教授となっていた。 また坂本氏は学芸大赴任以前は長らく北海道庁立帯広高女(現・北海道帯広三条高校)の先生として帯広に在住していたとのこと。

両氏とも多くの校歌の作詞・作曲をそれぞれ担当しており、坂本氏の要望により栗林氏が作曲することもあったようだ。 旭川大学高等学校、富良野市立布部小中学校、北見市立三輪小学校、旭川市立嵐山小中学校、旭川市立北鎮小学校などの校歌は両氏が作詞・作曲をそれぞれ担当している。

歌詞

一、
みはるかす[注1] 光る山脈(やまなみ)
学舎(まなびや)の 高き理想よ
おのがじし[注2] 励み進みて
永遠の 真理求めん
新しき 世界を開く
ああ われら われら ニューパイオニヤ[注3]

二、
沃土(つち)かおる 富良野国原[注4]
学舎(まなびや)の かたき誓いよ
開拓の 歴史 (あお)ぎて
たくましき生命(いのち)鍛えん
麗しき 郷土を築く
ああ われら われら 燃ゆる 大志よ

三、
フラヌイ[注5]の 流れ明かるく[注6]
学舎(まなびや)(つど)いまどけし[注7]
友垣(ともがき)の あつき(きずな)
ゆるぎなき 道を(きわ)めん
平和なる 明日(あした)をめざす
ああ われら われら 愛の学徒(がくと)

歌詞・ふりがなの表記は基本的にアーカイブ版に準ずる。

[注1] 【見晴かす・見霽かす】《五他》はるかに見渡す。
[注2] 【▽己がじし】[副]《「己 (おの) が為 (し) 為 (し) 」の意》各自がめいめいに。それぞれに。
[注3] 「ニューパイオニア」とも。
[注4] 広く平らな土地。広い国土。(「海原」の陸地版と考えればよい)
[注5] 富良野の古地名。富良野という地名はアイヌ語の「フラ・ヌ・イ」(hura-nu-i、臭・を持つ・所)が轉訛したもの。本来は富良野川を指し、上流の火山から流れ出る硫黄により川の水が臭うことに由来する。下記外部リンクを参照。
[注6] 「明るく」とも。
[注7] 【▽円けし】まど‐か【▽円か】[形動]と同意。古くは「まとか」とも。「まどけし」は明治以後、詩人や歌人によってつくられた古語風新語(一見、古い時代の語彙にあるようで、実際にはなかった新語)。

楽譜/MIDIなど

修正版

以前から公開していた楽譜類について、@mint_batake 氏より熱いご指摘を頂きました。

修正版の楽譜は以下。

北海道上富良野高等学校校歌
北海道上富良野高等学校校歌

audioタグ対応(MP3/OGGのどちらかに対応している)ブラウザでは以下から校歌の再生が可能。

楽譜PDFおよびMIDI/MP3/OGG/WAVは以下から。

旧版からの修正箇所は次の画像を参照。旧版楽譜の上から誤植部分に印をつけていただきました。

修正箇所
修正箇所

けっこう間違っていたようですね。古い方を使っちゃった人、ゴメンナサイ。

旧版

旧版の楽譜は誤りを含んでいるためここには掲載しない。 動画は載せておく。

その他

このページを作成するきっかけとなった動画。残念ながらこの記事の最終更新時点では非公開になってしまっている。